かちの備忘録

日々考えていること、あれこれ

003 私たちの問題だけど、私たち自身のせいでもない

 大学三年生。
 先輩方がスーツで飛び回ってるなか、インターンとか考えなきゃと漠然と就活に焦りを感じてる今日このごろ如何お過ごしなんだろう自分。そんなことをスーツ姿の就活生を電車で見ながら思う。

 数日前、少し前の朝日新聞の記事をネットで見た。リンク探すのが面倒だし、第一それ自体が画像だったから元記事探すの面倒なのでそういった事は割愛するが、内容は個性が無くなったよねみたいなものだった。
 大手航空会社の入社式、全員が示し合わせたかのように同じ様な髪型に同じ様なスーツで同じ様な靴を履いている写真が掲載されていた。空気を読むことが一番大事な世代と称され、調和を好むと書かれていた。その下には数十年前の同社の入社式の写真が。それぞれ思い思いにおめかししていて個性豊かだと。記事の本文では、就活戦線で好ましい姿を求められ個性が無くなっていっているというような形で締めくくられていた。
 
 中学生のころ、友人が学校の教師に対してこんな怒りを述べていた。入学式の日、黒ハイソックスを履いていったら怒られた。入学式以前に説明会のようなものは無く、校則など知ったこっちゃなかった。というか、その日に配られた生徒手帳に書かれていたのだ。校則では白ハイソックスが指定されていた。怒った教師は友人に対して「皆ダサいと分かって履いているのだ。入学式からそんな事をすると上級生に目を付けられるぞ」と言ったそうだ。ちなみに、その子はその春に越してきた子で、地域で中学生の制服姿をちゃんと見たことがなかった。
 きっと、大手航空会社の入社式でも同じ様なことが起きてしまうのではないだろうか。出る杭打たれるじゃないが、空気を読めないものはやはり淘汰される。ましてやこのご時世、情報は集めようと思えば集められるのだから。

 小中学校のころから周囲の空気を読み、教師の求める良い子を必死に貫けば、個性なんぞ育つわけがない。義務教育では個性を消すことを求め、それを達成し身につけたところで、個性を出せと社会が要求してくる。とりあえず、義務教育のありかたが問題なのでは。とこれから没個性の集団の一人として黒髪黒スーツを身にまとい、個性の出し合いという戦いをしなければならない大学三年生はボヤく。

 だれも聞いてくれないし、聞いてくれたところでどうにもならないんだけどね。