かちの備忘録

日々考えていること、あれこれ

007 私がアイドルに求めるもの

なんだか短いスパンでの登場です。いや~ここ最近アイドルとは何ぞやとか、私(我々)はアイドルに何をもとめているのかとか、アイドルはどうあるべきかとか考えるわけであります。きっかけは様々。めでたいニュースやまさかの金曜日雑誌、インスタグラムのざわつき等、考えさせられるできごとが多かったわけです。

そんなこんなで、現実逃避も兼ね(またかよ)私の思うアイドルの在り方や、私がアイドルに求めることをつらつらと書きなぐりたいと思います。個人的な考えであること。ジャニーズのタレントに対して述べていることを承知の上でお読みください。

 

 

 

「アイドル」って難しい職業ですよね。俳優や芸人とは確実に違うし、タレントという言葉もなんか違う。さて、アイドルとは何なんでしょうか。こういう時、私がよくやるのは辞書さまに厄介になること。では、早速やってみましょう。

はい、ドン!

 

アイドル【idol】

  1. 偶像。
  1. 崇拝される人や物。
  1. あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。「―歌手」
  2. (goo辞書さんから)

ハイ、みなさんご存じのとおり「偶像」という言葉が出てきました。では次、偶像を辞書で見てみましょう。

はい、ドン!

 

ぐう‐ぞう〔‐ザウ〕【偶像】

  1. 木・石・土・金属などで作った像。
  1. 神仏をかたどった、信仰の対象となる像。
  1. あこがれや崇拝の対象となるもの。「若者の―」

 

はい、やっぱりな感じの結果です。あ、こちらもgoo辞書さんから引っ張ってきました。

さて、なにが言いたいか。アイドルは偶像であり、崇拝の対象である。偶像はもともとあるものではなく、人間が人工的に作った産物である。そして、それは宗教と切っても切れない関係にあるということがわかります。つまり、アイドルは「虚構」であり、ある種の信仰対象であるということです。

そういえば、社会学でそこそこ有名な(というか話題になった)本に「前田敦子はキリストを超えた」とかいう本がありました。アイドルは偶像であり、虚構。極論、存在しないものである。と私は考えています。私は、虚構に対し熱狂し、お金を払い、心の安らぎを得ています。それは、二次元のアニメに熱狂するのと同じだし、本の主人公に熱狂するのと同じだし、きっと神様を信じることと同じなのです。

 

では、当の本人はどう考えているのでしょうか。彼らの心の内を完全に知ることなんてできません。ただ、もう少し彼らにアイドルとしての自覚、つまり「偶像を演じる」「虚構を演じる」ことの自覚を持ってほしいと思います。私たちは、作られたアイドルである彼らを応援している。それにも関わらずアイドル本人に偶像を壊されたらたまったもんじゃない。私は虚構を作り上げているその努力も含め、金を貢いでいるのだから。

 

アイドルだって人間です。アイドルである前に人間です。だから、人を好きになることは当たり前だし、皆と遊ぶことだって当たり前だし、それをSNSで共有したくなるのだって当たり前の心理です。そこを否定したり、禁止したりするつもりは全くありません。

しかし、彼らはアイドルである前に人間ですが、人間である上にアイドルなんです。

そこんところを忘れてもらっちゃ困る。

 

学生は、人間というものの上に学生という身分が乗っかっていいます。だから「学生の本分は学業だ」と言われるのです。好きで学生やってるわけではなくとも。アイドルも同じです。アイドルをやっているからこそ追加される制約があるのです。虚構としてのアイドルを演じなくてはならない。それはメディアの前ではもちろんです。だからと言ってアイドルはトイレには行くなとは言っていません。でも、だからと言って、トイレを公開してはならないはずです。

 

うん、トイレを例に出したのが悪かった。

 

彼らに好きな人ができたり、おつきあいするのは勝手にどうぞ。と私は思っています。それは人間ですからしょうがない。ただし、公にばれないような努力はしなければならない。それでも不可抗力で写真撮られちゃうのもしょうがない。本人が公の場では虚構を演じきっていたのならば。 でも、自ら公の場に好きな人をにおわせたりするのはどうかと思う。それは虚構を彼自身が壊していることになるでしょう?自分がその仕事を続けようとしているのだから、その限りは偶像であらねばならぬのだ。

もう一つ例を挙げよう。遊びに出掛け、楽しいことがある。それをSNSにアップしたくなる。それはしょうがない。人間だもの。ただし、鍵付きアカウントでしなければならない。彼らはジャニーズ事務所の規定で公式サイト以外のブログ等をしちゃいけないはずだ。公式サイトというフィルターが虚構を保っているのに、それを自ら壊してはいけない。ましてや自分の顔を公開するなど、もってのほかである。自分の価値を下げるだけである。

 

ちょっとしたバイトでも規則はある。規則を破ってSNSに情報を流せば解雇されることは当たり前である。それとなんら変わりはない。トイレに行くなとか食事するなとかいうことじゃない。人間としての欲望を、アイドルという職業に合わせてコントロールしてくれと言っているのである。

 

 

アイドルファンは難しいものである。

虚構である偶像のアイドルを見て、そこに潜むかすかな現実を楽しむことがある。でもそれは、偶像が完璧な偶像を保とうとしているからこその楽しみであり、それが壊れてしまっては、アイドルとファンという関係性も壊れるのである。

もし、そういう努力ができないのならば「普通の男の子に戻ります!」と宣言してローラースケートなりマイクなりを置けばいい。

ただ、ここで強調しておくが、私はそれを望まない。できる限り頑張って偶像であり続けてほしい。そして、その努力に貢いでいきたいのだ。





とある意見を見たので追記。

ではお前は 仕事中なり授業中にTwitter見たりしないのかという意見というかなんというかを見た。はっきり言う。私は授業中にTwitter見たりしている。でも、バレるようなアカウントで授業中に呟いたりはしていない。そういうことでしょう?やるならそれなりの覚悟と準備をしろって事だ。

 

 

 

 

006 今更のデジコン Hope in the darkness からみる嵐(独断と偏見で)

こんにちは。

昨晩というか昨夕は、福山雅治とフッキーこと吹石一恵の結婚報道を見て、おいおい独身貴族四天王は今後どうなるんだよとTwitter見ながらネタツイしていたら斜め上から落選のお知らせメールが飛んできて後頭部を強打されました。だって東京ドーム希望だったからまさかメール来るとは思ってなくて油断しきってたし、何なら全く別の大陸の四天王の心配していたから顔の向きがいつもと全く違う方を向いてたんだもん。自国の領土なんて見てなかったよん。せめて真正面から飛んで来たら華麗によけるか満を持しての顔面キャッチできただろうけど(どんな状況でもまともには受け止められないゼ☆)そんな不意打ちはだめだよね。首やっちゃうよね。

ということで、今年は宮城でとっても近くに嵐様を見れたからいいかと自分に言い聞かさたけど物わかりの悪い自分がうじうじしているので、謎のこのタイミングでTHE DEGITALIAN コンサートの中でのHope in the darknessをもとに私の思う嵐と、私の嵐に対する想いを書きなぐろうと思います。これ書き終わったら立ち直るから、これ書き終わったらレポートとゼミ課題やるからかんべんしてちょ。

 

 

 

ではでは、はじめちゃいますかね☆

なぜ、デジコンのHope in the darknessなのかというと、あのフィジカルインターフェイスの役振りが完璧だと思うのですよ。今の嵐をとっても反映している気がしてならんのですよ。こういう系の、特にこの曲に関しては、たくさんのブログが書いていると思います。調べてないけど。読んでないけど。私の妄想満載ですが、それでもよければお進みください。

 

 

 

Hope in the darknessの始まり、大野智ひとりだけが現れる感じ、この感じたまらなく好き。リーダーの動きで鳴るのはピアノというか水の音のような効果音。花開くような手の動きで音を鳴らします。これが始まりの鐘のようなイメージなんです。もしくは鍵。とにかく何かが動き出す合図。これは嵐のリーダーである大野智にしかできないんだと思うのです。どんなにあとからドアをたたこうと、鍵が開かなくては、始まりの鐘が鳴らなくてはドアは開かない。

つぎに出てくるのが松本潤。スネアドラムのような効果音と指パッチンの効果音です。私にはこのスネアドラムがドアをたたいているように感じられるのです。鍵が開いてもそのドアを誰かが開けようとしなければ一向に前に進まない。 

すでにここに嵐の関係性が見えてくるように思えます。嵐のきっかけや判断基準となるリーダーと、先駆者のようにはじめの一歩を踏み出す松潤。私がにの担ということを先に述べたうえで、ハワイのドキュメンタリー(NHK)で二宮さんが腰を負傷した際、ジャンプアップでの登場のままでいくと言い張る二宮さんとやめた方がいいという松潤(私の憶測は、二宮さんはスライドアップにならざるを得ないと分かったうえであえて主張していたのでは)そんなところに大野さんがやってきて「スライドにしよう」と一言。この一言が私の言う鍵なのです。きっかけを与える役割。そして、二宮さんの「そのほうがいい?」の一言からすべてを読み取りスライドアップへの変更を指示する松潤。これが第一歩なんだと思う。スネアの気を引き締めるような感じがまさしく第一歩。さらに、もしかしたら、これは指パッチンの効果音とも言えるのかもしれない。切り替えを促すような感じの指パッチン。このふたりのフィジカルインターフェイスだけでも入れ替わってはいけない大きな何かを含んでいる気がするのである。

 

次に登場するのが二宮さん。ぎゅいーんというギターのような効果音(ぎょーんはガンツだっけ)。元々ギターができるというのも配役の要因なんだろうけども、これまた嵐の関係性にぴったり。このギターの効果音はメロディーの役割となっている。このメロディー、物語を進める役割があるように思える。見切り発車で始めた会話をおもしろくしたり、オチまで誘導したり。大野さんや松本さんの手によって踏み出した一歩を次の一歩へとつなげる役なのである。

次が相葉さん。でゅるるるるるるるという効果音。実はこの相葉さんが一番重要な効果音を担っていると思っている。どんな曲にもアクセントになる音があって、その音が曲の色となる。相葉さんの効果音がないと、キレイにまとまりすぎた面白味のない曲になってしまう。これは嵐というグループにとってもそう。嵐のみんな真面目で(相葉さんも例にもれず真面目です)どうしてもきれいにまとまった感じになってしまいそうになる。そんなときにアクセントになるのがミラクル相葉ちゃんである。彼の無意識的に出てくるミラクルがあるからこそ嵐には色が生まれるのだと思う。あと、少し関係ないことだけど、あの効果音と相葉ちゃんの笑い声がどことなく似ている気がする。相葉ちゃんの笑顔は人を幸せにするよね(なぜいまそれをw)

そして満を持しての櫻井翔登場。この配役も完璧。というかすべて完璧。バスドラムの効果音と会場のファンライトを操る力(なんかカッコイイ!!)をお持ちです帝王様。この二つは本当に翔さんにぴったり。というか、この櫻井翔ターンを書きたいがためにこの記事を書き始めたYO☆櫻井翔といえば嵐のブレーン的な存在。二宮さんも同様に嵐のブレーンと言われるけどそれとはちょっと違う。櫻井翔は『嵐』という巨大なプロジェクトの頭脳なのである。『嵐』という巨大なプロジェクトと簡単に言ったが、これは嵐5人とそれを支えるスタッフとファン、嵐に関わる全てのひとをひっくるめたプロジェクト『嵐』の中枢なのだと思う。毎年日経エンタで上甲さんによる櫻井翔インタビューが行われ今後の嵐についてが述べられている。そこを読むとわかるように、櫻井翔の考えていることは『嵐』であって、嵐だけではないのだ。だからこそ、会場にいるファンの持つライトを彼が操るというのは、この『嵐』というプロジェクトを仕切っている(というと語弊がありそうだけど)櫻井翔ならではなのである。他のメンバーが何もやっていないのではなく、矢面に立ち、プロジェクトメンバーに行くべき方向を、嵐5人が考える方向を指し示すという大役を彼が担っているのである。

 

はい、お気づきの方がいるのか分かりませんが、ここまでDVDの映像の流れに沿って書いてきましたがまだ曲始まっていません。

 

では曲始めます。

櫻井さんのバスドラムでメンバーが向きを変えて歩き出す。この感じ、まさしく翔さんが陣頭指揮している感じに見えませんか?バスドラムという事は曲のテンポを決める役割。今、どのように『嵐』が進めばいいのかを翔さんが示してくれているのです。

 

曲が始まりました。ここからかなり妄想の域に入ります。これまでの妄想的な論なんか比べものになりません。要注意を。でも配役が主題なので内容もなければ短いです。きっと。

 

翔さんのバスドラムで進むテンポが決まり、相葉さんの効果音で色が付き、大野さんの音で鍵が開き、松本さんのスネアでドアが開きます。そして二宮さんのメロディーで曲が進み始めます。

ここで注目なのは大野さんと櫻井さんの動き。櫻井さんはバスドラムなのでドンドンと腕を振るのは当たり前なのですが、大野さんが花開くような手のふりをあたかも指揮しているようにやられるのですよ。櫻井さんがマーチングの先頭にいる指揮者だとしたら、大野さんはオーケストラの指揮者。そう、嵐には指揮者が二人いるように見えるんです。(私だけだと思いますが。)櫻井さんは先ほども書きましたが、『嵐』というプロジェクトの指揮をしています。これに対し大野さんは嵐の指揮をしています。なんだかおかしいようですが、おかしくはない。櫻井さんは『嵐』の指揮者である前に嵐のメンバーなのでしょう。大野さんは櫻井さんを含む(しいては自分をも含む)嵐という5人の指揮をしているのです。私には嵐の年長者二人が寄り添いながら、よっかかり合いながら嵐を支えているように思えます。お互いに嵐のリーダーはあいつだと言い合うのはこういうことなのではないでしょうか。

風っこも無視はできません。山の二人がいくら支え合っていたとしてもそれだけではもろいのです。金八先生理論から考えてみますが、なぜそれを使ったとは突っ込まないでください。「人」という字は二人が支え合っていますね。これが櫻井大野です。でもそれでは前に進めない。だって、鍵を開けてきっかけをつくり、テンポと進むべき方向を指し示しているだけだから。そこに末っ子コンビ松本二宮がやってきます。松本が後ろから押して最初の一歩を踏み出させてくれますし、二宮が後ろから押して前に進めてくれます。そしてやっと前に進めるのです。でも後ろから押すだけではバランスが崩れて前に倒れてしまいます。嵐の、『嵐』の支柱が倒れてしまっては大変です。ここで登場するのが中間管理職相葉さんです。私のイメージでは大野櫻井の目の前に立って満面の笑みで(もうちゅーしてしまいそうなぐらいの近さで)二人を支えてくれています。きっと彼の笑顔がアクセントとなりバランスが保たれるのです。相葉ちゃんがうひゃひゃひゃひゃと笑いながら大野櫻井を前から支え、それを見た末っ子の二宮松本がいたずらを思いついたように後ろから大野櫻井を全力で押し、大野さんは相葉ちゃんと見つめ合って笑い合い、櫻井さんは相葉ちゃんに対し「近い近い」と騒ぎながら破顔しているのです。多くの人が関わるプロジェクトを前に進めなくちゃ支えなくちゃと意気込んでばかりだと気負いすぎて楽しめない。そこに笑顔で楽しみというアクセントを加えるそんな存在が相葉ちゃんなのです。誰一人かけてもダメだし、誰一人強くてもだめ。そして、お互いが信じあっているから自分の役割を全うすることができる。そして素晴らしき明日へ進むのである。

 

とてもながながと書きなぐりました。

これがHope in the darknessをDVDで見た私がたどり着いた嵐です。デジコンDVDが届いてからHope in the darknessだけ何度も見返すほど大好きな演目です。これは生で見たかった。ああ、なんで今年もツアーには当たらないの。一通り書きなぐり切ったら余計にコンサートに入りたくなりました。

最後まで読んでくださった方、こんな駄文を読んでくださりありがとうございました。ああ、書いていて楽しかった。

 

 

 

 

 

 

あ、4000文字超えてる。レポートの4000字って結構大変なのになあ~。

 

005 お久しぶりです。

お久しぶりです。

とてもお久しぶりな更新になってしまいました。何度も更新しようと思ったのですが、なぜかツイッターで事を済ましていました。

このシルバーウィーク、実は宮城の方に行っていました。更新はしていなかったものの、はてなブログのジャニタグはしっかり漁っていた今日この頃、ジャニヲタの一日という面白い記事を発見。しかし、私なんぞのまともにブログすら更新できない私なんぞの一日をこの流れに乗っかって発表したところで、何の面白みもなければ得もしないので、ブログのリハビリがてら今週一週間について書きたいと思います。

 

さてさて、私のシルバーウィークの始まりはもちろん19日から。と言ってもとても朝早くからの始動でした。東京駅に7時に行くという普段なら絶対にしない行動からのスタートでした。もともと出不精なものでして。まあ、宮城についてはTwitterでさんざん呟いて楽しんだので書きません。そんなことより一番書きたかったのはこれ。

 

 

 

 

ARASHI BLAST in miyagiとその他諸々のジャニゴトの余韻から抜け出すことの難しさ

 

 

 

 

これが、一番大変で一番楽しかった。

私が参戦した宮城コンは初日の19日。次の日には家に帰っていて、その後は特に予定もなかったので荷ほどきしてレポ読んでついでに部屋の掃除してレポ読んでエムステ観てレポ読んでってな感じだったのです。もう19日から23日まで嵐やジャニの事しか頭にない日々。目の前で繰り広げられた幸せな光景を思い出しニヤけ、TLに流れてくる様々な萌エピソードを読んでニヤけ、Mステ観てニヤけ、一番搾りの60秒CM観てニヤけ、またレポ読んでニヤけ、そんなことをしていたら困ったことに、ほっぺの筋肉を締める術を忘れてしまっていた。

 

23日の夜、唐突に叫ぶ娘(私)。

母「どうしたの?」

私「未だに浮足立ったこの心を周囲の人間に悟られないように明日から生きていかなくてはならない」

 

母は笑っていたが、私には重大なことであった。なぜなら、大学ではそこまで熱狂的なジャニヲタだとは思われていない(はず)だからだ。

少し会話に間があけば、嵐が目の前で踊っていたのを思い出すし、読んだいろんなレポの様子を想像するというか妄想し始めてしまうし、おかげで自然と顔がにやけていく始末。24日、25日と大学があったのだが、あんなにも知り合いを避けて過ごしたことはない。バレてもいいじゃないか、という人がいるが、そんな簡単な話ではない。レベルというものがあるのだ。

ジャニヲタの皆さんは共感いただけるだろうが、一般人(非ジャニヲタ)と対するとき、もしくは初対面のジャニ好きと対峙するとき、相手がどのぐらい耐性があるか、どのレベルのヲタか計ろうとするのだ。顔が好き、ドラマは観るぐらいなのか。CDも買うぐらいなのか。初回盤合戦にも参加するのか。FCには入っているのか。CMまで捕獲するのか。雑誌はどれほど買うのか。遠征はするのか。オンリーなのかどうか。同担拒否なのかどうか。などなど

私はというと、出不精なので遠征はほとんどしないが初回盤合戦はするしWSのためにレコーダーはフル稼働する。分かりやすく言えば、このシルバーウィークに3回年を越した。というか23日にあけましておめでとうと3回言った。そんな人間である。

私は昨日3回年越ししましたなんてニヤケ顔でパンピーに語ってみろ、もう口をきいてもらえなくなる可能性だってある。そんな危険を感じながら一般の友人と一日を過ごすなんて暴挙には出れない。

シルバーウィークのあいだ、なにも考えずにヲタ全開で過ごしていたために、少しでも気を緩めるとヲタがダダ漏れてしまう。ああ、本当に大変だった。頬の筋肉が一番ブサイクなニヤケ顔の位置に自然といってしまう。しまいにはマスクしようかとまで思った。普段なら大学までのバスでジャニの音楽聞いているのに、それすらできない。そんなことしたらニヤけてしまう。もうなにもできない。未だに余韻でTLは萌散らかっているからTwitterは見れないし。

そんなこんなでえらい目に合いながら木曜日金曜日を過ごしていました。どうにか日常に戻りつつあるので、月曜日からはどうにかなりそう。きっと。

 

 

 

 

ああ、ブログの締め方ってどんなだろう?